多摩ニュータウンNo.471-B遺跡出土石器に関する調査報告について

平成13年5月9日
東京都教育庁生涯学習部

1 調査概要

 東京都教育委員会では,多摩ニュータウンNo.471-B遺跡から出土した旧石器の信憑性を明らかにするために,平成12年12月6日に調査委員会を設置し,平成12年12月13日から平成13年4月23日までの間に5回の調査委員会を開催した。この間,東京都教育委員会では関係者への事情紹介や学識経験者への鑑定依頼を行うなど,その結果を調査委員会に報告し,検討に供した。

2 委員構成

委員長 小林三郎 明治大学教授・東京都文化財保護審議会委員
委 員 藤本 強 新潟大学教授・東京都文化財保護審議会委員
 〃  小林達夫 國學院大学教授
 〃  小野 昭 東京都立大学教授
 〃  阿部祥人 慶応義塾大学教授
 〃  坂東雅樹 東京都教育庁生涯学習部文化課長
 〃  佐藤 攻 東京都埋蔵文化財センター調査研究部長

3 調査課題及び結果

(1) 調査経過及び事実関係の調査

調査経過の調査で,

  1. 藤村氏から鎌田氏への具体的な支持が遺跡発見の契機となったこと
  2. 遺跡の発見当日に出土した5点の石器がいずれも崖面に近い範囲から集中的に発見されていること
  3. 残る8点のうちの7点が,藤村氏が来跡した日か,その直後の作業日に出土していること
  4. 石器を制作する際にできる破片(チップ)が1点も発見されていないこと

などの疑念の残る現象が認められた。

(2) 石器の石材と原産地の調査

 ア 石材の原産地について

 13点の石器のうちの11点の石材が,流紋岩及び流紋岩質溶結凝灰岩,輝石デサイトという類似の火成岩で,太平洋側の4ヶ所(1白川地域,2郡山盆地,3福島−宮城県境脊梁山地,4仙北地域)に候補地のあることが分かった。まだ産地は特定されていないが,最も近い白川地域でも約200kmという距離になり,石器の持ち運びや石材のあり方などに疑念が残った。

 イ いわゆる「ガジリ痕」について

 13点の石器のうち10点に認められた。一般に「ガジリ痕」は,鍬などの金属製の農耕具による損傷ではないかと考えられてきたが,調査中や取り上げ後の超音波洗浄による脆弱部分の剥落,移動や展示の際にもおきる可能性があるなど,様々な要因が考えられるため,原因の特定にまでは至らなかった。

 ウ 酸化鉄の付着について

 面的に付着するものと洗浄に付着するものの大きく2種類が認められたが,金属製の農耕具に由来すると考えられる明確な酸化鉄の付着はなく,成因についても様々な可能性が考えられたため,原因の特定にまでは至らなかった。

 エ 黒色土の付着について

 黒色土の付着については,表土等の黒土に由来するのではないかと考えられてきたが,調査後も数回にわたる超音波洗浄器による水洗が行われており,付着量も微量なため,何に由来するものか判明しなかった。そのため,現段階では「黒色物質」と呼称するにとどまり,この黒色物質の付着をもって表採品と特定することはできなかった。

(3) 石器製作技法等の調査

 No.471-B遺跡出土の石器は,全体的に似た様相を示し,時代の新しいものは含まれていないことが明らかになった。また,石器の技法の検討では,後期旧石器時代の石刃技法を持たず,全体として古い様相と捉えられてきたが,石器組成を比較できるものがないため,時代を位置づけることはできなかった。
 一方,石核の準備段階で出る剥片と最終段階の剥片が一緒に出土していたり,それらの製作段階で出来ると考えられる破片(チップ)が出土しないなどの疑問点もあり,結論はでなかった。

4 まとめ

 多摩ニュータウンNo.471-B遺跡の石器群が,他の異なる時期の石群を混えたものであったり,明らかに後世に他地域から持ち込まれたものであるとの結論には至らなかった。しかし,多くの疑問点や不自然な状況が認められたことなどから,約5万年前の石器群という,これまでの評価をそのまま首肯することも困難である。
 また,現地はすでに造成されて残っていないために,周囲を再発掘して確認することは不可能であり,唯一の資料である石器についても,これ以上は非破壊による検証は困難で,問題を解決するような決定的な結論を得るには至らなかった。今後は,日本考古学協会の特別委員会等による検証作業の進捗などを見守りながら,新たな方法により検証が可能になった際には,再度検討する必要があると考える。