事実と道理の前に反論不能−決着した公明党との論戦(1999年4月25日「しんぶん赤旗」)
いっせい地方選挙のなかで、公明党は、日本共産党を「ウソつき」「無責任」「デマ宣伝」などとひぼうする異様な攻撃を全国でおこなってきました。日本共産党は、必要な反論と解明を本紙でおこなうとともに、公明党が「ウソつき」と攻撃する中心的な問題−地域振興券問題と学校校舎の改善運動−について、誤解をうまないように「しんぶん赤旗」4月号外でも解明し有権者に知らせました。
この間の論戦がしめしたことは、再三再四、公明党が反論をこころみたにもかかわらず、私たちが論戦で解明した基本的事実に公明党がまったく反論できず、口をつぐんでしまったということです。公明党は後半戦の最終盤に、「言うだけ言って、あおるだけあおって何も実現する気がない共産党」という見出しをつけたビラ(公明新聞4月21日付の記事をコピーしたもの)を全国各地でいっせいにまきましたが、このビラは論戦で反論不能に陥った公明党の立場をよくしめしています。
いっせい地方選挙で公明党がもちだした日本共産党攻撃の最大の口実は、「『地域振興券は共産党が実現した』とデマ宣伝している」という手のこんだウソでした。景気対策として消費拡大につながらないと日本共産党が国会で反対し、世間でも評判の悪い地域振興券を、日本共産党が”私が実現させた”などいったことは一度もありません。「赤旗」号外では、そういうウソを先頭にたってふりまいている浜四津代表代行の演説(3月27日、高知市)も具体的にしめし、「勝手なつくり話で他党を攻撃する公明党のやり方は民主主義をこわすものです」と批判しました。
この最大の争点について、公明新聞や全国でまかれた公明党のビラで具体的事実をあげて反論したものは一つもありませんでした。最終盤のビラも、「赤旗」号外が61%の人が振興券は地域の活性化や消費の拡大に「役立たない」と回答している世論調査を紹介しているのに、「大好評の地域振興券」として振興券を歓迎する何人かの声を紹介しているだけです。
日本共産党が提案した学校校舎の改善のとりくみにたいしても、公明党は「真っ赤なウソ」と問題の存在さえ否定する態度をとりました。しかし、国政でも、オール与党・相乗りの地方政治でも、大型開発優先政治のために教育・福祉が切り捨てられ、学校施設の改善が立ち遅れているのは紛れもない現実です。「赤旗」号外が、公立高校の危険校舎が8年間で約2倍に増加し(「地方財政白書」)、全国の小中学校にたいする国の学校改修予算が20年間で4分の1近くまでに減っている事実、また大阪府議会が全会一致で危険校舎の改善を求める意見書を採択し公明党も賛成した事実をしめして「子どもたちが安心して通える学校」をつくろうとよびかけているのに、最終盤の公明党のビラはこうした事実をいっさい黙殺して、共産党の「現実無視したデマ・キャンペーン」「針小棒大のウソ」と悪口を繰り返すだけでした。
このように、公明党が日本共産党を「ウソつき」と攻撃した今回の論戦の核心的な二つの問題について、「赤旗」号外は具体的な事実をあげ道理をつくして批判しました。これにたいし、公明党は最終盤のビラもふくめて、具体的に反論することができませんでした。論戦のこうした決着は、日本共産党を「ウソつき」よばわりした公明党自身が、事実と道理をふみにじってまで他党攻撃をするという体質をもった政党であることをしめしています。
いっせい地方選挙の前半戦、共産党は大躍進ですね。
私はこれまで陰ながら共産党を応援してきました。「共産党を大きくしないと政治はよくならない」。私と同じ思いの有権者がこれだけ広がりをもっていることを結果は示したと思います。
九一年の十二月のことでした。創価学会が日蓮正宗総本山・大石寺から「破門勧告」をうけたときです。私は創価学会を離脱し、公明党を離党。このとき「赤旗」の取材をうけました。「徹底追跡レポート・創価学会を追う」というシリーズでした。その時の取材と記事の正確さ、影響の大きさから私は、「不倶戴天の敵」だった共産党と「赤旗」について認識を変えるきっかけをつかむことができたのです。
私が「赤旗」に載ると、一般マスコミの取材攻勢をうけることになりました。テレビ、週刊誌、大新聞とどっときました。どの記者も「赤旗」の記事の切り抜きをもって私のところにやってきたのです。「なぜ赤旗をもっているのだ」と聞くと、「ウソのない正確な報道をしているからだ。参考にしている」と、語っていました。
一般新聞などのマスコミから共産党についての評価を教えられた。このなによりもの実体験に、私は目からうろこが落ちる思いでした。今風にいうならば、マインド・コントロール≠ェ解けたのです。
私が創価学会・公明党を離脱するときの私への攻撃は卑劣なものでした。「ウソも百回いうと本当になるんだぞ!」。そういって脅して、離脱を思い止まらせようとしたのが公明党でした。
「目が覚めた」ことはまだありました。私は公明党を離党し、無所属議員として三年間活動しました。議会のなかで独りぼっちになったのですが、激励してくれたのが、共産党の川越市議団でした。
公明党の議員団長だった私ですから、共産党からすると「煮え湯を飲まされる」思いをしてきた相手です。その私をあたたかく受け入れてくれたのです。創価学会・公明党から集中攻撃を受けている窮地にたった一人の人間として私を守ってくれたのです。
「こわい党」「ウソつき」と洗脳されてきた共産党のイメージと違って、思いやりのある、人間性の豊かな人たちの党なのだと思ったのです。
議員を辞めて一人の市民となった私。率直な、市民の目で共産党を見ますと、そこには困難を抱えた高齢者、障害者など弱い立場の人たちのために検診的に活動している党の姿があります。
私はいま、この大躍進を機会に、「自分だけが支援するのではなく、共産党に共感を覚え、期待を寄せている多くの人に公然と支持を訴えよう」と考えて活動しているんです。
(1999年4月21日「しんぶん赤旗」 「99いっせい地方選 まじめにトーク」より)