No.7 2001.04.23

くらし・介護…たよれる政治家

日本共産党  新田 孝

核も基地もない東京を!

横田基地・多摩弾薬庫跡地の早期返還をもとめます


 1964年,明治大学入学と前後して,私は,平和運動,原水爆禁止運動に取り組むようになりました。 核兵器廃絶を求める街頭やキャンパスでの署名運動,米軍基地拡張反対でがんばった「砂川(立川基地)闘争」,一つ一つが,私の今日を形づくっています。
 71年,多摩市に来てからは,日本共産党の市議会議員として,また多摩原水協や多摩市平和委員会の会員として,「ヒロシマ・ナガサキからのアピール署名」を集める毎月の「6・9行動」,夏の平和行進,原水爆禁止世界大会などに参加してきました。

平和運動は私のライフワーク

 多摩市・稲城市の間に居座る公大な「米軍多摩サービス補助施設(弾薬庫跡地,米軍のゴルフ場などがある)」の返還は,私の夢です。 敷地内で実弾演習がおこなわれ,米軍に抗議に行ったこともあります。 日本共産党の一貫した働きかけが実り,基地の一部返還による川崎街道の拡幅工事が実現します。


新田孝ものがたり No.7

 1968年,明大卒業後,働きながら,さらに勉強できる環境はないだろうか?と探し当てたのがタクシー会社でした。 ここなら,明け番の日に勉強ができそうです。
 しかし入社した国際自動車では,労働者がたいへんな無権利状態に……。 風邪をひいて休むともう乗る車がない,稼ぎが少ないと,翌日,「御座敷」と称して会社からみっちり絞られる,労働組合は御用組合……。
 新田青年は黙っていませんでした。 労働者としてのみずからの権利を堂々と主張するとともに,「民法研究会」という非公然の組織をつくって,働くものの権利の学習,要求実現の運動に取り組みました。 会社による弾圧を防ぎながらのたたかいは神経をすり減らします。
 こんななかでの楽しみは,タクシーを運転して原宿・表参道で待ち合わせた,関イチ子さんとのデートでした。

つづきは次号で。


多摩地域7人の日本共産党都議がつくった大きな変化

 前回の都議選(1997年)で日本共産党は,13議席から26議席に倍増し,特に多摩地域では1名から7名になりました。
 これでどんな変化が生まれたでしょうか。
 いちばんの変化は,都議会でつねに多摩地域のことが取り上げられるようになったこと。 たとえば,北多摩一区(東大和,東村山,武蔵村山)選出の小松きょう子都議は,本会議の質問で多摩地域の都道の問題を取り上げ,23区で歩道のない都道はないのに,多摩地域では未整備のところがたくさん残されている実態を明らかにして,この「多摩格差」を是正するよう具体的に迫りました。
 多摩・稲城市でも,川崎街道や旧鎌倉街道では,歩道が不完全だったり,一部ないところもあります。 都は多摩格差は解消されているとしていますが,とんでもありません。 切実な問題を正面から取り上げる日本共産党の新田孝さんをどうしても都政に!